KEIKO KOMA

| HOME | ARTIST | エッセイ麗花1-45 |

更新日 2010-01-09 | 作成日 2008-03-30

エッセイ.psd

 
 
 5月29日の杉並での「大地の声」の時に、私の内にあった光と闇の間が解かれ、その前の5月12日の「高句麗伝説」により対象化する意識によって作られた管理監視体制から解放されたことを認識して以来、ふと気付いた時、私は、今までずっと問続けてきた真の自分とはを考えなくなっていました。多くのボランティアの人達と話し合いをする時に、「高麗さんはこういう人だから」という話があると、自分の事を言われているようには感じなくて一生懸命話を聞き、「そういう人がいるの」と感じ、感心しているのです。そして、最もこのことが顕著にあらわれたのは、京都心模様作品展のドキュメンタリービデオのトップにあらわれた、大覚寺大沢池の畔を歩く姿に、私自身、驚き、歓喜の声をあげたのでした。よく見ると自分の姿であったのですが、私は出会った瞬間、胸の内に光が灯り、大声をあげずにはいられなかったのです。
 続いて映し出された京都心模様作品展の様子は、新しい歴史のはじまりを感じました。ビデオも感動的ですが、いだきしん先生が撮られた写真も感動します。歴史的であり、上品で格調高く、エネルギーにあふれているのです。何と雅やかな世界なのでしょうと、夢と希望を感じます。
 お客様が大変喜んで下さり、どなたも素直になれた場であったとお聞きしています。心模様作品は世にないものですから比較するものがなく、喜ぶ方は涙を流し、この上ない至福の時を過ごして下さいます。あまり感じられない方はそのまますぐに出てゆかれますが、比較するものがないので、批判も批評も出来ず、大変静かな美しい空間となっています。私の内からも対象化する意識がなくなり、長年考え続けてきた「自分は何」という問いかけをしなくなっていました。只、平和な世界に向かって何をしていくのかのみを考え、夢中に動いています。
 京都心模様作品展での、いだきしん先生の音は、誰の生命も受け容れひとつにいれる空間でした。これが天はるか向こうの世界かと感じました。それぞれが美しく、輝いていました。後日、又聞きですが、ある講座での中で「京都の時は、準備するスタッフが全て美しかった。することがなくてウロウロ歩いている人も輝いていた」というような内容のお話があったと聞きました。無駄な人はいないのです。天のはるか向こうでもみんなが生きていけるのだと実感出来た経験でした。
 そして高麗恵子Sky rocketチームが生まれました。天空に咲く花を花火と例えていましたが、正に真の自分が輝き生きる世界は、この空間に一人一人の生命の光が輝く光景です。天空に咲く生命の華は、私の描く心模様作品の光景のようでもあり、私は、この時代を迎えられたことに無上の喜びを感じています。