KEIKO KOMA

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更新日 2010-01-09 | 作成日 2008-03-30

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「コリョヘイジャ」という詩を詠みました。どの詩がそうであったかを気づくことはなかったかも知れませんが、多くの人から明るい感じがしたと聞きました。又、私はよく明るい人と言われます。自分では自覚していませんでした。先祖高句麗の歴史を受け継ぎ生まれていたので深い悲しみに満ちていると感じられてきたのですが、真の自分は、多くの人が言うように明るいのではと「高句麗伝説」が終わった後に、笑美ちゃんと話しながら帰ってきました。中学校の時からの友人が、当時も今も、いつも周りに人が一杯いて、その輪の中心にいることは変わらないと話していたことも思い出します。
 私は、海外のある人から時計を頂きました。大変使い易い時計で、常に急いで出掛ける私にとり便利な時計でした。ところが、偶然その時計をつけていると、色々なアクシデントやトラブルが起こるのです。頂いた方の運命に関係しているのかも知れないと感じ、ある時、今トラブルが起きると困るからと感じ、他の時計をつけるようになりました。ところが、トラブルやアクシデントはいつも起こるのです。その時、時計の問題ではなく、私の人生が日々、色々な事が起こるのだと気づきました。けれど私は、いだきしん先生にお会いしてからは、解決出来る時に問題は起こることをわかるようになり、何か起こる時は、解決の時と受け止めています。結果的には、全てが良くなり、道は開かれていくのです。困難や苦難を避けていても何も開かれないといつも感じています。困難を乗り越える度にいつも変わることが出来、変わる度に、人生が豊かになっていくこの人生、いつもありがとうと言っています。
   亡母にもお母さん、こんなにしあわせな人生、生きているからと、今日も語りかけていました。「麗花」の詩でも詠んでいます様に、世界中人々と人生にありがとうと言える時の為に生きています。