KEIKO KOMA

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更新日 2010-01-09 | 作成日 2008-03-30

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   5月13日の誕生日の「大地の声」は最高でした。いだきしん先生も、何度も「いい会だったね」とおっしゃって下さいました。そして、14日のいだきしん先生のピアノコンサートと続く流れは、天の導きとしか考えられません。2月14日の狛江での「高句麗伝説」が終わった直後、
いだきしん先生より「もう一回やれれば決まる」というお話を聞きました。私も同時にそう感じていました。それも場所まで示されるようにみえたのです。新宿文化センターでした。翌日会社に行くと、私宛に2通も
新宿文化センターから封書が届いており、私は「決まり」と言い、すぐに空き日の確認をしたのです。5月12日(月)が空いていました。
いつもの私でしたら13日を考えるでしょうが、導かれた場所で行うことを優先し、12日となりました。すぐにその事を先生に告げると、
「イヴだね」とおっしゃいました。私は、何のことかよく意味がわからずにぽかんとしていましたら、もう一度「イヴだね」とおっしゃったのです。その時、何かあると感じました。何故13日ではなく12日より空いていないのかも不思議でありながらも「何かある」ことにときめきました。いつもでしたら自分がみえたことは必ず決まるのです。12日に決まる必然があると受け止めました。そして13日は、音楽の友ホールより空いていなかったのです。12日の「高句麗伝説」により永遠の高句麗を心に生きることを経験し、13日に真の誕生日となりました。音楽の友ホールに行くのは、本当に久しぶりでした。とても思い出深いホールです。
以前からいだき講座を受けていた人は、よく覚えていましたね。
20年前の5月13日に「高句麗」マラソンコンサートを開催したことを・・・。
私は、楽屋の前の扉にグリーンのスーツを着て立っていた自分の姿だけを覚えていたのです。そして思い出すのは、母のことでした。亡母もこのホールで「高句麗」を聞いたのでした。CD「高句麗」のジャケットは、高句麗壁画 四神図の「青龍」の写真です。この写真の使用許可を出して下さいました、朝鮮大学の音楽の先生と初めてお会いした時のことを思い出しました。このホールでのコンサートの時に、先生の方から「高麗恵子さんですね」と声をかけられました。高句麗王の末裔であることは一目でわかります、とおっしゃり大変喜んでおられました。その先生からコリョヘジャという名を教えて頂きました。その日に着ていた服がグリーンのスーツだったので、その光景だけを覚えていたのだと、今気づきました。
 音楽の友ホールのベーゼンドルファーの音は特別です。
低音のうねりは大地を轟かし、正に青龍が天はるか向こうへ舞っていくようです。先生もここのピアノはすごいと、13日に何度もおっしゃっていました。このホールもいだきと同じ25周年を迎えるそうです。
ベーゼンドルファーのピアノは変わらずに良いと、先生はおっしゃいました。レバノンの方の為に、そして会場にいらっしゃる方々の為に
天はるか向こうの世界をお届することが私の気持ちでした。
それは、前日、悲しみの影が先生の吹かれるドゥドゥクの音と共に天のはるか向こうへと導かれ、光と変わり、永遠の高句麗を経験したからです。中東では愛する我子が殺される様な経験を持つ人が多く、アルメニアでは民族大虐殺という悲しい歴史があります。天はるか向こうの世界によってより悲しみは癒されることなく、光と変わることはないと身をもってわかりました。影は闇を引き込み、再び悲しみを繰り返します。
内が光でなければ、本当の意味で幸せも平和も訪れることはないのです。あの思い出深き「高句麗」を表現して下さった、音楽の友ホールのベーゼンドルファーによって、20年後の同じ日、天のはるか向こうの世界が表現されたのです。そして14日のコンサートでは、もとを生みだしたもとへと・・・。
若光王墓前にて、あなたの中に高句麗の全てがある、と告げられ、これからは、高麗恵子さん、コリョヘジャの時代と告げられたことの意味がよくわかりました。
表現していくことは、大変意味があることと、今改めて感謝します。
といいますのは、私は音楽の友ホールのこと、ベーゼンドルファーのこと、グリーンの服のこと、母のことがずっと心にありながら、何故かと考えてもよく分らなかったのです。まずは表現しようと書きはじめ、
コリョヘジャと教えられた日のことを思い出したのです。
真の自分が輝き生きられる社会は平和な世界・・・。
いよいよスタート地点に立てたときめきと喜びに震えます。