KEIKO KOMA

| HOME | ARTIST | エッセイ麗花1-41 |

更新日 2010-01-09 | 作成日 2008-03-30

エッセイ.psd

 
 いだきしん先生のコンサートの一回一回は、大変尊く、いつも大きな壁や課題を乗り越えて行く経験となっています。忘れもしない広島でのコンサートの時、母を亡くしたばかりの私は生きて行く事に精一杯でした。一瞬一瞬本音を表現し、今、今に集中し生きることに努めました。ふと立ち止まると、急に虚しくて、淋しく、悲しみに襲われ動けなくなります。暗い気持ちを引きずり、コンサートにて一音一音を聞いていると、突然、会場に亡母があらわれました。悲しみ沈む私を見て少し心配気にし、私を励ます様に「恵子、もっとしあわせになりな」と言ったのです。その一言は、私がしあわせだと、母もしあわせでうれしい事を告げていました。悲しみ沈んでいると、亡母も悲しい事を身にしみわかりました。
 「今まで何人もの人に、亡くなった父、母、主人、妻、子供等々に会えました。ありがとうございます」とお礼を言って頂く事が多いです。その言葉は真であると感じる表情でありその人が元気になって行くのでその様子をみても、本当にコンサートの時に、亡くなった人にお会いできるのだと感じてはいました。けれど、どういう風に会えるのかしらと考えていました。自分で経験し、本当に会えるのだとわかりました、会えると心が落ち着き、生きていく力が生まれることも経験できました。
 三ヶ月後に、二日続くコンサートがありました。コンサートの前日に、私は入院している父を訪ね、「明日と、明後日とコンサートが二日間続くので時代は大きく変わるからね。お父さんも元気でいてね」と言うと、父は大きくうなずき、笑っていました。その表情を見た時、私は本当に時代が変わると実感できました。そして父も元気でいてくれると確かに感じられたのです。
 そして迎えたコンサートは、1998年10月31日でした。私は父が亡くなることを予知してしまったのです。錯覚だと思い、打ち消しました。けれど涙が止めどもなく溢れて、どうしようもありませんでした。昨日、「元気でいてね」と言ったら、うなずいていたから大丈夫と言い聞かせ、忘れようとしました。
 夜いつになく疲れ、そのまま眠りたいと感じ、お風呂に入った時、「いつ何があるかわからないから、きちっとしていなさい」と自分に言うように内なる声に従い、私は髪を洗いました。明日もコンサートなので美容院に行き、髪をセットしてもらうので洗わずに行こうとしていたのです。早朝、姉から電話で父の容態が危ないとの知らせを受け、急いで身支度をし病院に駆けつけました。 父は亡くなりました。 
 ある大きな世界が終わり、新しい時代を迎えたコンサートでした。不思議な事に、多くの方がこのことを感じ、大きな存在がこの世からいなくなる予感があったと聞いています。新しい時代がはじまり、父はこの世を去りました。父はそのことをわかっていたようです。あの時の通じ合った表情と笑顔はその事を語っていました。
 コンサートでは無限なる世界を感じていけますので、この世だけではない 永遠の世界が本当にあると、はっきり感じられます。だから、何があっても生きていけるのです。
 いつも限界を感じている時、何とか抜け出したい気持ちで一音一音じっと聞いています。一音一音は古代から今に至るまでの知恵を伝えてくれていると感じます。私には生命のメッセージと感じます。本当の生命の声が聞こえます。一昨日の杉並での「大地の声」にてピアノの音を聞いていると、生命は愛を望み、愛に生きることを伝えていました。生命は愛よりありませんでした。生命のままに 愛 に生きていきます。