KEIKO KOMA

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更新日 2010-01-09 | 作成日 2008-03-30

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 1998年5月の高句麗の旅の写真を見ると、何故こんなにも心が動き、生命が躍動するのでしょうと、誰にともなく語りかけてしまいます。
 全ていだきしん先生が撮って下さったものです。まるで、その場にいるように空気、風、光、香りまで感じるのです。そして、私が会いたくてたまらない高句麗人の魂まで感じるのです。心ゆくまで、時間を気にせず見入っていたいという気持ちが生まれます。まるで五女山の風に吹かれているようでもあり、集安の穏やかな大地を歩いているようでもあり、高句麗の香りに包まれます。今朝、私は、お腹の底から感謝しました。生まれた時から、私を生かし続けてくれた存在を感じてきました。私は、管理されることが苦しくて生きていけない子供でした。集団生活や集団行動が出来ず、教室に入った途端、貧血を起こし、倒れてしまうのです。こんな私がよく24才まで生きてこれたものだとつくづく感じています。かといって先祖の力がはたらいていたので、人と比べられることが嫌いだったのでダントツを目指し成っていくことで生き延びてきました。国が滅ぶことの辛さ、悲しみも自分の人生でわかりました。暗雲が押し寄せて来た時、運が落ちることを察知した瞬間のことまで覚えているのです。運がないと何をやっても報われず、巡り合わせも悪く、悲惨でした。最後は死ぬよりないのです。生命絶える直前にいだきしん先生に出会わせてくれたのも高句麗の力と身をもってわかっています。私を生かし続けてきてくれた力が、1998年に私を高句麗の旅に導いてくれたとはっきりわかりました。1998年は父母を亡くした年です。5月に中国の高句麗の地へ行き、6月に北朝鮮へ行き、やっと檀君の生まれた聖地白頭山まで辿り着き、母が亡くなり間もなく父が亡くなったのです。私が生きていける様に父母が亡くなる前に高句麗の地へと導いてくれたので私は、永遠に生きる人生を生きられるようになったのです。
 そして、この事はいだき講座を経験出来たから起こったことも深くわかります。私は、幼い頃より父母がこの世からいなくなったら生きていけないと本気で考えていました。けれど、いだきで生きていたので、父母亡き後も生きられ、魂のことをはっきりわかるようになり、前より豊かで深い人生を生きられるようになったのです。
 そして自立もしましたが、自律した生き方もはじまりました。この人生の深さ、豊かさ、感動、喜びをどの様にあらわせるかと、四六時中考えています。語り尽くせぬ程の喜び、感動を経験出来る事が夢の様です。
 誰にでもこのことを正しくお伝えしていこうと考えるだけで、これから開かれる未来が輝きに満ちています。