KEIKO KOMA

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更新日 2010-01-09 | 作成日 2008-03-30

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   私は、幼い頃から汚れを嫌い、聖なる世界が大好きでした。神経質で、潔癖症であり、病気とも言われていた為に、この世の中では大変生き辛く、苦しみました。今でもいだきしん先生のコンサートや「高句麗伝説」が近づくと、この潔癖症と言われてきた感覚が浮き彫りにあらわれ、空間の汚れが耐えられなくなり、時に気が狂うのではと不安を感じることがあります。コンサートや「高句麗伝説」の前は、人の内からも行き場のない思いや、苦しみ、悲しみが吹き出てきます。行き場であるコンサートが開催されるからです。この度も京都での「高句麗伝説」を前にし、私は、気が狂うのではないかと感じる程、耐え難き感覚がありました。私は、共に働く人やお手伝いして下さるボランティアの人にはいつも、きれいに掃除をしてねと言い続けます。けれど、感覚が違うので大変苦しみます。私にとってみると、踏んだり蹴ったりと表現するよりない程、自分の感覚を痛めつけられます。最後は、私は神経質で潔癖症だからと自分の感覚を鈍くさせようとしてしまうのです。この度は、あまりに耐え切れずに目をつぶりました。京都での「高句麗伝説」の朝、目が覚めると、目がよく見えずに困りました。目をつぶれば目が見えなくなるのは当り前と気づき、一人笑ってしまいました。いだきしん先生は、そんな私に、ある成功している経営者のお話をして下さいました。環境整備を徹して行なっている会社は成功するというお話でした。私は、自分を鈍くしようとする癖を思い知り、何て愚かなことをしているのかと自分を恥じました。私にとり、物や道具、家や建物は自分の身の内と同様です。物を壊されたり、しみをつけられると自分の身の内が痛み、汚れるのです。物には意志がある、といだきしん先生からお聞きしました。私もそう感じています。大切な生命を扱うように扱えば、全てが健やかに安心して暮らしていけます。私にとり、物を壊したり、汚す無神経さは耐えられないのです。
   愛車のポルシェが傷つくだけでも身が痛みます。毎日、夜、家に帰り着いた時、私はエンジンを止めた瞬間、「今日もありがとう」と自然とお礼を声に出して言っています。私の生命を守り、無事に帰り着くまで共に動いてくれていることに心底感謝します。今までは、神経質と自分を責めてきましたが、天はるか向こう開かれた今は、環境をきれいにすることにおいて妥協せず、自分を活かして参ります。

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『高句麗伝説に向かって』WEB SITELinkIcon