KEIKO KOMA

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更新日 2010-01-09 | 作成日 2008-03-30

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 意識の枠が外れ、守ってくれるものがなく、自分の力で自分を守って生きていかなければならないということを、いだきしん先生に何度もおっしゃって頂き、身につけようと必死でした。人の状態や社会のことをそのまま体に受けてしまうと聞いていました。今までもそうでしたが、守ってくれる枠があったので生きてこれました。枠が外れるとはこのようなことかと日々驚く程、体に苦痛を受け、すぐに血圧は上がり、ひっくり返ってしまいます。その度、先生にピアノを弾いて頂き、整理されると同時に、血圧も下がり起きれるようになります。先生のはたらきの計り知れない程の力には、只々頭が下がるばかりです。この生命をもって経験させて頂いた者とし、私は感謝の気持ちを、生きることで表現していこうと強く感じる毎日です。生命とひとつになれない意識がこれ程までに生命を傷つけ、負担をかけていくのかと身をもって思い知る日々でもあります。第一関門と覚悟していたいだき講座の2日目が訪れました。意識の枠が外れ初めての2日目は、緊張もし、恐れもしました。血圧は高いながらも、先生がピアノを弾き続けておられますので、何とか持ちこたえましたが、ある時、頭がおかしくなると感じる程の重圧に耐えがたい苦痛を感じ、只そこにいるだけで精一杯でした。お一人お一人の運命の因子を調べ、言葉にし、先生がピアノを弾いて下さることの連続により、苦痛は和らぎ、やがて引いていき、最後は険しい山を登り切った様な清々しい体感があり、内から力が湧いてきました。人の生命を縛っている苦しみが解かれ、真の光をとり戻していく時、互いに生命が交流し、光の空間が広がり、生きる力が生まれてくることを実体験しました。今までも25年間経験してきましたが、守られなくなり自分の力で2日目を無事に出来ましたことは、大変ありがたい経験でした。その後に、先生からリハビリに新宿に連れて行って頂きました。私は、買い物が大好きですから、街中は大丈夫と思っていましたが、新宿に近づくにつれ頭が重くなり、体がフラついてきました。真っ黒い世界の中に入っていく感じで、こわくもありました。が、練習しなければ生きていけないと感じ、先生がいらっしゃる時に身につけられる貴重な機会に感謝し、歩きました。先生は、ドバイに行くスケジュールが迫っていましたので、予行練習とおっしゃいました。日々変化激しく、血圧は上がりっ放しで不安定な中、いよいよドバイへ出発する日が訪れました。もう何十回も乗っているドバイ行きの飛行機で、慣れていますが、震える程こわく、空港にて先生が頭に手を当て、頭の重みを吸収して下さいました。行き交う人が異様な光景を見、「見てはいけないものを見まいと目を逸らしながらも、それでも気になって横目で見ていくよ」と先生は笑いながらおっしゃっていました。私は、周りの目を気にする余裕はありません。頭の重圧が引き、足取りも少しずつしっかり歩けるようになり、不安ながらも一歩一歩着実に歩いていこうとドバイ行きの飛行機に乗り込みました。
 到着した日の午後、コーヒーショップの候補地を見て歩きました。ショッピングモールを歩いていると、心ときめく香りと風を感じ、引き寄せられ歩いていくと、「FERRE」という見慣れた文字が心に飛び込み、そのまま中に入っていました。同行している人は、先生はじめ「又か」という表情であきれながらも苦笑いしていました。久しぶりに興奮し、血圧を気にしながらも、楽しい時でした。どんなに枠が外れても、好きなものは変わらない自分に私も苦笑いしました。FERREの生前の作品でしたので、引き寄せられたのでした。けれど、昨年ビトラでの「高句麗伝説」の日に急死されましたので、今後は心ときめく作品に出会える機会は訪れないでしょう。日本からは、生前の作品は姿を消しましたので、ドバイにて最後の出会いとお別れをしました。
 いよいよ翌日は、目的のアポイントの日です。朝から興奮状態でした。先生から、「東明王が又戻ってきた」と指摘され、不安になりました。仕事をする時や、時間の計算をする時は、以前の私に戻る傾向が残っていました。倒れることを懸念し、内面深く感じようと必死でした。シャルジェのNo.2という人は、国家で言えば総理大臣か首相の様な立場と同じとお聞きしました。若い男性で、話はトントン拍子に進み、無事目的は終わりました。後の時間では再び、ショッピングモールの下見をし順調に過ごせ、ほっとし、夕方部屋に戻りました。2時間後にチェックアウトをする為に荷造りしたり、ウェブサロンへの書き込みをしている頃から首根っこをつかまれているように後頭部から肩、背中に重しを背負わされたようになり苦しく気分が悪くなっていました。が、やることを優先し、構わず動き続けてしまい、あまりに気分が悪く部屋を出る直前に血圧を計ったら200を越えていました。瞬間ショックで目の前が真っ暗になり、200いくつかが見えず、パニックになり一人で騒ぎ、部屋を出ました。偶然先生がいらっしゃり、私は何かを訴えていました。何を言ったかは覚えていません。その後は、血圧が下がることがなく、何度計っても下がらないので余計パニックになり、気づくと体中震えが走り、歩ける状況ではなくなっていました。空港に行く時間までロビーのソファに横になっていました。体中震え、不安で一杯でした。何が起きたのかを調べると、一言で言えば「闇」でした。闇のセンターをそのまま体に受けていました。先生は、お会いした人が「高句麗伝説」のDVDを見たのだろうとおっしゃいました。意識で分からずとも何かを感じ、この地にあるものが動いたのだと話されました。みんな先生のことがわからず、私がNPO高麗の代表としお話しさせて頂くので、私の方に来てしまうということも話されていました。地獄の底にいるようでした。真っ暗闇の中、寒さに震えるばかりです。いよいよ時間が迫り、決断の時は来ました。部屋をとり休んでいくか、帰るかを自分の体なのだから自分で決めなさいと言って頂き、私は迷わず「帰ります」と言い起き上がりました。起き上がったものの一人では立ても歩けもしません。先生につかまり支えられやっと車に乗り込みました。車中は不安で一杯でした。体は冷たく震えるばかりです。空港に着き、先生に手を引かれ、一歩一歩歩きました。あまり具合が悪いと飛行機に乗せてもらえなくなるので、しっかりしようという気はあっても、体はフラフラでした。案の定、エミレーツの職員に「Are you sick?」と声をかけられました。私は「No」と言い笑おうとしたものの、顔は引きつっていましたので、再び下を向きました。「本当はトイレに行きたいのですが」と思い切って言い出しました。トイレへ行く時、体の具合が変わることを何度も経験していますので、我慢していました。先生から「行っておいで」と言って頂き、思い切って行きました。無事に出て来た時の先生の表情は真剣そのものであることに驚き、感動しました。事の重大さをこれ程わかり支えて下さる人はいないと心底ありがたく涙があふれます。闇のエネルギーを受けるとは生命奪われると感じました。先生がいらっしゃるから変えていけることがこの世の奇跡であり唯一の希望と感じます。ラウンジまでの長い道のりも、ゆっくりゆっくり一歩一歩歩き、辿り着き、ソファで横になり搭乗時間まで休みましたが、血圧は下がることはありませんでした。帰る事は決めていましたが、不安は続きました。ドバイを飛び立ち5時間程した時に、大きな覆いが溶け、抜けていったことを感じ、不安も恐怖も消えていき、体が温かくなり生きている心地がしてきました。血圧も下がったように感じました。先生は全てをわかっておられ、「抜けただろう」と声をかけて下さいました。わかっておられるのは当然です。先生は、闇のエネルギーを吸収し、自らの体をかけ、変えていく事をずっとされておられたのです。やっと変わったので、私も良くなったことを確認されたのでした。心から感謝します。人間の生きている状態や社会の仕組みがこのようなところで動いていることを、誰に話しても理解されないことと常日頃から感じていますが、私にとっては全て現実であり、事実であり、真実であります。だからこそ、世界の平和を実現していくコンサートと銘打って開催出来るのです。闇の只中から抜け出し、世界平和への道が開かれ、日本の地に帰り着くことが出来ました。リハビリというにはあまりの出来事でした。正確にはリハビリではなく、新しい生き方の学習と先生に教えて頂きました。生命がかかる学習と改めて事の重大さに心構えも正されました。
 帰国後、大阪での応用コースにてのお話は身に沁みました。頭は、周りの色々なことが入ってくると死んでしまうので、意識の枠を作って守っていること。皮肉なことに意識の枠がある故に人間の能力も限定され、活かしていけないこと、等々のお話は衝撃的でした。私は、意識の枠は個の世界をつくり、人と人を分断し、対立、闘争となっていくとみえます。けれど、意識の枠が外れたら死んでしまうという社会で生きている限り、解決はないという限界にあるのです。今、私は生命在り、意識の枠が外れるという人類史にない経験をしました。そして、先生のはたらきのおかげにより、生命在り、生きれています。大変な経験をさせて戴いています。この経験が出来ますのは、既にいだきしん先生が何十年も前に意識の枠が外れ、生命在り生き続けておられるから、生命あり乗り越えていけるのです。27年近くもの間何度もお聞きしました意識の枠が外れた時のお話がひとつひとつ蘇えります。お箸を持つことも出来なかったこと、ひとつひとつ覚えていったこと、髪の毛が全部抜けた経験等々…、今自分が経験し、初めて実感とし理解出来たのです。そして、先生が乗り越えてこられたという事実が、今の私が生きていけるという唯一の手がかりなのです。とても傲慢になっている余裕なぞありません。一瞬一瞬生命賭けで生きています。余計なことをするとすぐに倒れてしまうのです。生きることの真髄を学ばせて戴いています。尊き一日一日一瞬一瞬を生きて迎えられますことに感謝するばかりです。心の底から、朝目覚められありがとうございますと言葉が生まれます。一日無事生きることが出来、眠りにつく時も心の底からありがとうございますとお礼を表現します。
 よちよち歩きの幼子がいきなり国際線の飛行機に乗り無事帰ってきたような感覚でした。私の学習は極端に飛躍すると、いつもながら極端な出方に笑ってしまいますが、ドバイに行けなければアルメニアへは行けないからと先生はおっしゃり、「うまく運んでくれている」という一言にいつもながら大いなる計り知れないはたらきに導かれ、支えられていることを私の生命全てで感じ、感謝します。同時に、先生のはたらき、いだき、NPO高麗の活動は、人類の未来を創る上で必要であることを、深く身に沁み、わかることの連続です。

つづく