KEIKO KOMA

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更新日 2010-01-09 | 作成日 2008-03-30

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 窓を開けると、遠い日の幼き頃の光景が思い起こされる電車の音が聞こえます。私は、今、母の生家があった地に近い所に住んでいます。幼い頃、この近くの野原で、夕暮れ時に母とこの電車の音を聞きました。人間はどう生きていくのかを幼いながら考え、母と共に過ごした夕暮れ時です。果てしなく広がる大空を見上げた時、生きている事の不安に胸は震えました。この空は昔からあるのに、昔この空を見ていた人はどこに行ってしまったのか、と感じ、人間の生命の事、生きる事の意味を考えたのです。大地に足を踏みしめている時に、丸い地球上に存在している私という生命が、この地球上に生まれたことの意味するものは何かを考えました。昔、この空を見ている人は、目に見える世界には今はいません。人間の生命は生まれ、死んで行く事の意味は何なのかと知りたかったのです。今まで人間が生まれ死んでいく事の流れの中で、私が今この地球上に生まれ出た事の意味は、とどうしても知りたいと感じました。長い人間の歴史から見ると、私がこの地球上で生きている時間は、ほんの一点にしかすぎないように見えた時、生きていることの虚しさに襲われました。けれど、ほんの一点にすぎない時間を生きていく事の意味をわかりたいと心底望みました。ふと母に聞きました。「私はお母さんから生まれ、お母さんはおばあちゃんから生まれたけど、人間は最初は誰から生まれたの」最初がわかれば生きていけると幼心に感じたのです。母は笑って何も答えませんでした。その時、私の心に生まれた気持ちは、お母さんはわからないけど、この世の中にきっとわかる人はいる、という確かな手がかりに希望が生まれたのです。今日、遠い日のこの光景が電車の音と共に、風までも蘇りました。今日は、夢のお告げのあった「本音で生きて下さい」「時の威力」の読書会がスタートします。幼き日の自分の原点である光景を風は運んでくれました。幼き頃の疑問、求めてきた事、全ては解き明かされ、わかっていける日々を生きられる人生は開かれました。いだきしん先生にお会いした初めての日に、先生は「あなたは何が一番わかりたいの」と尋ねられました。私は「永遠の愛」と答えました。永遠をわからずして生きられない事を幼い頃からわかっていました。永遠をわかりたくて、そして愛をわかりたくて宗教を学び、真理を求めて生きてきたのです。
 「本音で生きて下さい」を出版した1998年。父母を亡くし、私は永遠の世界をわかることなくして生きていけない人生となりました。内面の世界を中心に生きる時に、亡き父母の魂を感じられ、先祖高句麗の代々の王の魂共に在ることをわかりました。永遠の世界で生きることは、内面の世界を中心に生きることによりはじまりました。そして10年の年月を経た今年2008年、私は生まれた時からずっと私を守り続けてくれた高句麗が私の意識の枠となっており、その意識の枠が外れていくという予想もしなかった出来事が起こりました。意識の枠が外れてからの私の生命の光景は、とてもこの世のものとは見えずに、私は驚き、ためらいました。本当は不安に震えていました。生命の光景は、未来に実現していくことを今までの経験を通しわかっていましたので、ふと私は死ぬのではないかという不安が掠める時がありました。先生が撮影して下さったアルメニアコンサートの時の私の写真を見た時も、内心ドキッとし、この世の人ではないと感じたのです。私がいつも詩にあらわしています天のはるか向こうの世界は、何の境もない世界ということだけが手がかりでした。いだきしん先生も常々、「この世もあの世もない」とおっしゃっています。
 11月1日。父の命日を前に、私は真から出直すと決め、心模様替えを試みました。六本木本社ビル地下にあります高麗恵子ギャラリーと表参道にオープンしました高麗恵子Skyrocket Centerの心模様作品を新しく製作しました。血圧は高くてもやり始めると止まらない性分であり、気づくと製作した作品数も今までよりも多く速く作っており、その他の仕事も今までよりも多く行なっていました。いだきしん先生から何度も、アルメニアコンサート後に撮って下さった私の写真を大きく引き伸ばしたものを見たかどうかと尋ねられました。私は見ていなかったのです。11月3日のコンサートの時にとスタッフが準備してくれていました。心模様替え準備の為に、血圧が高いにも関わらず今まで以上に動いてしまい、血圧が高いまま下がらなくなってしまった私は、申し訳ないと感じつつも不安で先生にお電話をし、ピアノやオルガンを弾いて頂きました。この時はすぐには下がらずに、長い時間弾いて頂くこととなってしまいました。「何やってこんなになってしまうのか」とおっしゃった一言が胸に響き、深く考えました。先生は同時に、あの写真を3日のコンサートの前に確認してからでないと、いきなり当日に展示してはいけないという内容のことをおっしゃったのです。不思議にもこのことがスタッフに通じたかのように、翌日3枚の大きな写真を額に入れたものを重いにもかかわらず、手に持ち歩いて私の工房に運んで下さったのです。そして31日の心模様替えをする夜に私は、KEIKO KOMA Skyrocket Center の地下の「高麗」の看板の両隣りに展示させて戴きました。そして迎えた11月1日です。真にスタートとなりました。KEIKOKOMA.COMのトップページでの私の写真と美しい花に迎えられ、心華やかに地下へと降りていきました。当然写真パネルの位置は私が決め置いたのですが、お花が添えられてあった為に、迎えられたという表現となりました。地下へ降り、「高麗」の看板の前に座り、目を閉じました。目に鮮やかな春の五女山城が一面に広がりました。緑輝く五女山城の城壁が生々しいまでにはっきりと見え、風までも感じ、ここは五女山城でした。秋ではなく春でした。私が以前見た「五女山の夢」の光景です。ふと五女山の夢が叶う予感が生まれ、心ときめきました。五女山の夢とは世界平和実現を意味します。アルメニアコンサートの時に宇宙の生まれる3段階前の世界があらわれ、世界の平和は成ると確かに見えました。「五女山の夢」も叶う時がみえはじめたことに喜び生まれます。城壁の前に立つ若い男の人の爽やかな颯爽とした清々しい空気に心魅かれます。けれど、東明王のようでもあり、東明王の父のようでもありながら、何かが少し違うこの男の人はどなたでしょうと考えました。ピッタリと表現出来ない自分がもどかしく、気になりました。父という言葉であることは間違いありませんでした。そして先生が撮って下さった私の写真を見、私は永遠をわかりました。今日、「高麗」の看板の前に座り目を閉じ見える光景は、あの世のものではありませんでした。けれどこの世のものでもありませんでした。あの世とか、この世とかで言い表せない新しい世界でした。その新しい世界は「永遠」であることを先生の撮られた写真は教えてくれました。そして再び1階に上がり入口の所に飾ってあるお花の美しいことに魅せられた時のことです。紅のしゃくやくとカトレアの美しい上品な優雅な姿の背景に、私は亡父を見たのです。あの光輝く木々の緑、美しい五女山城の城壁に立つ若い男の人は亡父であるとはっきりとわかったのです。亡くなって10年経ち、父は、永遠の世界で若く、清々しく生きていることを私に伝えに来てくれたのです。この花を贈ってくれた人の粋な計らいに心より感謝しました。後でこのお花はいだきしん先生からのものとわかり、私はこみ上げる感動と感謝の気持ちで胸が一杯になり、震えました。この日体調が悪かった姪にお花を届けさせる役割を与えて下さったと言うのです。姪は、その喜びですっかり体調が良くなったのです。全ての人が生きる道を作って下さる先生の粋な計らいは、この度も私の人生を変えてくれました。
   私は、意識の枠が外れてから、あの世にいる感じで、死への不安はいつもついてまわっていました。体調の良い時は少しずつ家の整理をしていました。いつ死ぬかわからないと感じていたからです。そのような意識状態ですから、血圧が下がる訳はなかったのです。新しい状態と自分の変化を正しく理解し、認識し、どう生きるかをわかることなくして、生きていける訳はないのです。11月1日、先生の撮られた写真から「永遠」をわかり、亡父が私に会いに来てくれた事により、永遠で生きる真の人生のスタートを切る事が出来ました。この深い感動と感謝を何によって表現出来ることでしょう。私は、永遠を生きていく事で感謝の気持ちをあらわしたいと考え、生きはじめました。宇宙の生まれる3段階前の世界は永遠の世界であり、一人一人が真の自分を活かし生きられる世界です。
 夢のお告げの読書会の日。風が運んでくれた幼き日の光景。今、新しい人生を生き、本音で生きることのスタートとし、読書会を行わせて戴きます。
全ての導き、計らいに心より感謝申し上げます。