KEIKO KOMA

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更新日 2008-10-10 | 作成日 2008-03-30


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私は、桃色の世界が好きです。
 
梅の花は、春の訪れを告げてくれます。冬の寒空の下に咲く梅の花の輝きに、視界が広がり、胸が開かれ、春を待つ喜びが生まれます。そして3月になると、日差しが明るく春めいて、桃の花が一斉に花開くと、空間は桃色の世界になります。家に立つ桃の木は、大変大きく美しく、桃色のアーチを作ってくれるのです。私は、桃色のアーチを通り抜けた先には、きっともっと輝き美しい光の世界があると希望を感じるのです。ひな祭りには、桃の花は欠かせません。桃の花は、幼い時からいつも一緒です。日本人が待ち焦がれる桜の花は、私には悲しく映るのです。淡い透明な桜色の花びらが空間をはらはらと舞い、風と共に去っていく風景は、あまりに美しく、悲しいのです。
私にとっての春は、桃の花が咲く時です。ひな祭りの日には、深大寺のだるま市があります。春の嵐が吹く頃です。父に連れられ、だるま市に行きます。深大寺には、高句麗人と日本人の悲恋伝説があると聞いています。昔は、民族も違い、言葉も異なっていたのだと感じ、胸がキューと痛くなります。けれど、出会った2人は、恋が生まれたのです。許されなかった恋であり、叶わなかった恋。恋はいつも叶わないから恋なのではと感じます。恋が叶った時、恋は恋とし生き続けるのでしょうか。叶わないから美しい光として心に生きているのではないでしょうか。許されぬ恋だから心が燃えるのではないでしょうか。高句麗の男性と日本の女性は、出会った時生まれたときめきをずっと絶やさずに、心の中に灯る灯火とし生きたことがみえる様です。それは、桃色の世界。桃の花は、一斉に花開く時、空間を桃色に染め、辺り一面を明るくしてくれます。その輝きは、光そのものです。私は、何故か桃の花が散りゆく風景を見ないのです。一瞬にし、輝くその光だけが心に灯るのです。深大寺の悲恋伝説は、桃色の世界。恋が叶わぬだけでは消えぬ光、閉ざされることがない世界。叶う叶わぬは、この世の世界であり、生まれた恋は、時を越えて、私に光を灯してくれました。
 
私が求める恋は、消えることのない心の灯火なのです。

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