KEIKO KOMA

KEIKO KOMAの書き下ろし小説や寓話などが読めるコーナーです。

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第十回/6月5日

  闇の帝王が整理され、さわやかな朝を迎えられ、心からうれしい気持ちで空港に向かいました。空は高く、穏やかなやさしい日です。再び訪れる時を心にふるさとの大地を飛び立ちました。今度来る時はみんなで来たい気持ちが生まれています。五女山の夢は程遠いと感じる現状を見た時に,私は今生では果たせないかも知れないという気持ちになっていたのです。ガイドの王さんも不可能であることを何度も告げました。不可能な理由を並べられた時には、望まない方がよいと感じ,自分の気持ちにも蓋をしました。王さんは、中国と韓国との歴史紛争の事を説明し、高句麗の事に触れると、領土問題にまで発展し戦争になってしまうので、誰も触れたがらないと言いました。何年にも渡り聞いてきた事です。2007年の秋、五女山に行けた時に私は生きているうちには2度と来れる事はない思いに襲われ、五女山を立ち去る時に車窓から五女山が見えなくなるまで眺めたのです。見えなくなり2度と振り返る事はせずに気持ちに区切りをつけたのです。五女山の夢は五女山のふもとで高句麗伝説を開催するという具体的な目的になり、中国政府の許可まではこぎ着けたものの、実施する地元の遼寧省がどうしても許可しませんでした。王さんが言う理由からです。領土を返せという事は言いませんか、と私も何度も聞かれました。この様な状態ですから、無理して五女山のふもとで高句麗伝説を開催しなくても、世界の平和を実現出来れば良いのが本音です。本音を表現し生きていくと決め、五女山での開催は考えなくなりました。同時に私が見た夢は真の自分で生きる一人一人が五女山に集うという夢です。正にNPO高麗の活動主旨であります、「真の自分を活かし、輝き生きれる社会は平和な世界」を顕わしている夢なのです。五女山で高句麗伝説を開催しなくても、夢が実現出来れば良いと考え、気持ちを切り替えました。私の夢は不思議です。夢のお告げと言っていますが、必ず未来に実現するのです。実現する未来に向かい生きれる人生は希望に満ちています。五女山の夢、イコール世界平和の実現に向かい生きる事には変わりがありません。此の度、再び高句麗の地に行く事が叶いました。父の死からの流れによって実現しました。この事も不思議な巡り合わせです。そして生きている間に行ってみたいと思わず口走った丸都山城に登り、1900年前の先祖の魂に出会えたのです。ずっと大地に眠る高句麗人の魂も蘇りました。もう思い残すことなく歴史を整理して頂いていることを、先祖が喜び感謝していることを生命全てで感じています。旅立つ前のカフエ哲でのサロンにていだきしん先生は言葉になる時に必ず実現することを私達に教えて下さいました。五女山に行くのも,死ぬ時の土産話みたいな気持ちでいくなら行かないとおっしゃいました。其の時,私の内に蓋をしていた気持ちが蘇り、蓋が開いたのです。叶うとか叶わないとかで気持ちを押し込めていることの中途半端さもよく見えました。生命賭け取り組み生きる生命は永遠であることを高句麗の旅で教えられました。私は五女山の夢の実現に向かい生きて参ります。道は切り開いていくものです。常にいだきしん先生から教えて頂いています生命のはたらきのままに生きていきます。生命は不可能に向かいはたらいています。ありがとうございます。


第九回/6月4日

 丸都山城の古墳群にて、眠れる魂が蘇り、私の心もやすらぎます。大地に眠り、心触れ合う人が訪れることもなく、厳寒の時も、雪に閉ざされた時も、雪が溶け、草花が美しく咲き春風が吹く時もこの地には誰も足を踏み入れることもなく、大地には只風が流れていた光景が瞼に浮かびます。私の心の内にも悲しい風が吹き抜けます。けれど、今、やっと会えましたね。時は来るのですね。河の水のせせらぎの音が心に沁みます。鳥の声は天に抜けるように高らかに鳴いています。美しい地、美しいふるさとにありがとう、と心の底から込み上げる涙は私一人の涙でないことを私はよくわかっています。表現し尽くせぬ感謝を心に将軍塚に向かいます。長寿王の墓です。巨石を積み上げた古墳です。50トンもある石をどのように運んだかはいつも謎です。それも沢山の石を積み上げているのです。石に手を触れると偉大な高句麗精神を感じます。大きな事を考える人は精神が宇宙空間に立っています。精神があるからこそ、人知を超える事が成せると感じ,現代人のちっぽけな生き方には先がないと見えます。今尚残る古墳を作った精神は、今尚先が見えます。永遠です。永遠に輝きます。精神こそが要であることを歴然と顕わして下さり、私も揺るぬ力が湧いてきます。全ての答えを示して下さり、迷いもなく、真っすぐに進んでいけます。道ばたに咲くすみれの花をみつけました。ここにもすみれの花は咲いているのですね。いだきしん先生にお伝えすると、よくみつけたね、とおっしゃいました。私は子供の頃からすみれの花を見つけることが好きだったのです、と言いました。すみれの花を見つけると驚喜した幼き頃のことまでもが、蘇り、報われます。ありがとうございます。
 高句麗の地に別れを告げて、瀋陽に向かいます。突然足が痛み始め、足を下にしているだけでも絶えられない程に痛みます。一体何が起こったのでしょうか。いつも変化は突然来ます。車の中で足の痛みは益々激しくなり、不安さえも襲ってきます。私は筋肉痛とか、単なる痛みは不安を感じませんが、他のエネルギーが懸って来た時は不安が生まれてきます。この瞬間、生きている感覚がなくなり、生きていく事が怖くなる最も嫌な瞬間です。不安な気持ちで長い道のりを車に揺られ、やっと瀋陽に辿り着きました。長い道のりと言っても11年前に比べれば、一部高速道路も出来、早くなりました。以前は大連から一日かかって辿りついたものです。田舎の風景から、いきなり賑わう街並が現れます。ホテルも一流ホテルとなり、馴染んだ暮らしが戻ってきました。いつも高句麗の地ではホテルで苦労します。お水が出ては手を叩き喜び、お湯が出れば、尚喜びます。お手洗いも水が流れてくれれば、手を合わせてお礼を言います。以前、公安の監視に耐えられずに、逃げるように瀋陽まで辿り着いた時、何日かぶりにお風呂に入ることが出来てほっとし休みました。が、朝になりバスルームに行こうとすると、ドアが開かずに入れずに困った事を思い出します。今は瀋陽では何も不自由なく過ごせるホテルに着き、ほっとします。が、この日は足の痛みが激しく、歩くこともままならなくなりました。ゆっくりとお風呂に入る事を楽しみにしていましたが、ジンジンと痛みが強く襲い、熱もありとてもゆっくりと入れるものではありませんでした。いだきしん先生に相談しました。闇の帝王がいるとおっしゃいました。自分でもわかっていました。先生は私の事を高句麗の王も体に入っていたけど、懸ってくるものが王様ばかりで並大抵ではない、とおっしゃいました。この事もよくわかっています。闇の帝王とは。。。。を考えながら、横になっていました。が、痛みがひどく、体のおさまる所をみつけることで精一杯です。夜中の4時頃になり、私にはいだきしん先生が一生懸命ピアノを弾いて下さっている光景が見えました。当然,実際は弾いている訳ではありませんが、ピアノを弾いて下さっていると同じはたらきを体感しました。其の瞬間、これで良くなると見えました。後は身を任せ、眠りました。朝になり、足の腫れがすっかり引いていました。昨夜は1.8倍位に足が膨らんでいました。そして真っ赤になっていました。闇の帝王は整理されたことは足の腫れや痛みだけではなく、自分の心理状態でもわかります。管理監視意識から解放されました。高句麗の地は現在,中国,北朝鮮、韓国にまたがっています。発祥の地は中国にありますので、ふるさとに帰りたい気持ちは切ない気持ちと重なります。体制の違いにより、管理監視されながらの旅が余儀なくされます。北朝鮮は尚の事行く事さえも叶いません。ふるさとに帰る事を考えると、自分の中にある恐怖が現れ、乗り越える経験の連続でした。もう大丈夫と感じても奥に潜むようにし、根深い恐怖は顔を出してきます。けれど機会があるので、顔を出し、解放されていくのです。ありがたいことです。此の度の旅ではどんな体制でも真の自分を活かして生きていくことを身につけました。新しい自分の誕生に五女山で誕生日を過ごせた偶然も偶然ではないことに心より感謝します。


第八回/6月1日

20090516-20090516095802.jpg 丸都山城に登り、やりきった経験は大変うれしく、生きていく力になります。最高に心地よい気持ちで迎えた翌日は、国内城に行きました。そして昨日は雨が降り、行けなかった古墳群に行きました。広い所で、ゆったりとまわっていると,鳥が一斉に鳴きます。カッコウ、ホーホケッキョ、色々な鳥の声が聞こえます。風のそよぎと共に合唱し、なんとも美しい夢の世界です。ふと、ガイドさんから聞いた話を思い出しました。私が質問した時におっしゃったことです。今でも高句麗の子孫はこの地にいるのですか、と尋ねたのです。いません、と答えました。この地は人が住む事を禁止されていた時代があり、無人の地であったと聞きました。だからこそ、1900年前の城壁が手つかずなのですが、何とも淋しい気持ちに襲われました。高句麗の辿る運命は尋常ではないと深く感じ,其の歴史を受け継ぎ生まれた私の運命も尋常ではないことを感じると複雑な気持ちになります。が、だからこそいだきしん先生に出会えたのだとわかります。この出会いは歴史の悲願であると生命の深奥にしみ入るようにわかった瞬間、地に眠る魂に出会いました。古墳の中に眠る魂だけでなく、この地には沢山の高句麗人が眠っていると感じます。子孫が訪れる事もなく、人が訪れる事もなく、長い年月,この地に眠っていたのです。私は来ましたよ、と話かけました。涙が込み上げます。やっと蘇る時を迎えました。それもいだきしん先生がこの地に来て下さったのです。先祖孝行が出来、ありがたい気持ちで一杯です。これからは全ての高句麗人が動き出すと感じます。力強いです。いだきしん先生はこの地は宇宙空間とおっしゃいました。人の為に一生懸命生きてきた人は気持ちが良いとおっしゃって下さいました。私は喜びの涙が込み上げます。このような魂はふっと触れ合う感覚がないと動けないことも教えて頂きました。今、やっと触れ合える先生に出会え、蘇ったのです。永遠の高句麗となったのです。なんとお礼を申し上げたらよいか。。。感無量です。

 高句麗古墳群
 蘇る魂
 出会えた今
 永遠の高句麗
 永遠の生
 永遠の魂
 ひとつ

第七回/5月30日


20090515-20090515154451.jpg 丸都山城に吹く風は生命ひとつで心地よく、いつまでもいたいと感じます。ふと呼ばれ、呼ばれるままに一人,風のそよぎのままに身を任せ、山を歩いていきました。あまりに可愛い小さな花に魅せられ、顔を寄せると、木の葉がそよいで、人の気配がします。大きな潤いのある男の人の声に驚き振り返る私の目には何も見えません。あきらかに人の気配がしても、人は見当たりません。再び艶のある男の人の声が聞こえ、木の葉が揺らぎます。胸が高鳴り振り返ると、やはり誰もいません。美しい声は私に語ります。その声と語りを聞いてやっと気づきました。其の美しく艶のある声は鳥の声だったのです。心がときめき、ほのかな喜びが生まれます。こんなに美しい鳥の声を聞いた事がありません。それも私に挨拶に来てくれたのです。うれしくてたまりません。長い年月会えなかった人に会えたように懐かしい再会を果たしたようでした。胸がほぐれていくのです。我に帰ったように、再びみんなのいる場に戻りました。時は1900年も前の事のようです。ここにいると鳥の声もこだまし、人の声も響き、風の音も気配を伝えます。昔、敵が攻めてきたことを察知し、生き延びる道を創っていった先祖の生きてきた様子が目に見えるようでした。撮影が終わり山を降りる時、すでに私は歩く道もよくわかり、身軽に走るように山を降りました。先祖がそうしていたように、私も走り軽快に降りていきました。新緑の輝く光は目にまぶしく、心洗われ、清々しいです。なんと美しい風景でしょう。ふるさとの美しい事に感謝し、感動し、生命は躍動します。夕日に輝くポプラの木を見るだけで喜びが生まれます。山の途中から眺めた山々の美しさも忘れません。今も心に生きています。2年前の冬の寒い時に訪れた時にいけなかった古墳群に行ってみたく、丸都山城を降りてから行く予定でした。山のふもとにあります。夕暮れ時、中に入った瞬間、雨が降ってきました。撮影が無理となり、急いで引き上げ、ホテルに戻りました。山を登りきった達成感に心満たされ、昨夜とは違う新しい自分が現れていました。全てのはじまりと感じ,人生はこれからと真に感じます。


第六回/5月27日

20090515-20090515132207.jpg 明日は丸都山城に行くと決まりました。部屋に帰り、明日に備えました。まず、必要な物をリュックに詰めました。服装も軽快な物を選びました。必要な事だけ考えていると心が晴れてきます。そして気持ちを整理しようと、紙とペンを出し、言葉を書いていくと、自分の精神状態とはまるで違う生命の光景が見えました。時間を超えた世界で駿馬の如くに走る高句麗軍団が見えるのです。時間を超えた世界とは宇宙の生まれる3段階前の世界です。私は全てを任せました。心配症ですので、様々な予想をしては,心配します。全て止めました。やる事を済ませ、眠りにつきました。眠ることもなかなか出来ない神経質な性分ですが、眠る事も任せました。いつになく眠れ、さわやかに目覚めました。声を出して「ありがとうございます」と言い元気一杯身支度をしました。8時に出発です。道中,杖を買いました。桃の木で出来た杖です。私のお供です。丸都山城に着きました。最初からすすだらけの道を歩き、一遍に着ている物が汚れました。刺がある木の枝をかき分けないと、前に行けません。木の枝を手でよけては歩く道を作ります。虫が目に入ったりし、虫を追い払うのも大変です。木の枝の刺が顔にあたります。顔が傷ついていないかと気にしましたが、私は顔よりも目だけは刺さらないようにと細心の注意を祓いました。亡き父は木の枝が目に刺さり、失明しました。因縁を考えました。いだき講座にて因縁は解放されていますが、父の生き方に似た傾向はありますので、充分気をつけました。すると何も恐れもなく、よく状況が見え、危ないことは避け、安全な道を選べるのです。何処に足をつけばよいかを私は知っていました。不思議にも私はこの山道を知っていました。人間の生命の不思議さに驚きます。呼吸ひとつ苦しくならず、乱れずに素早く山を登れます。風が心地よく、木の香りが香しく、鳥の声はこの上なく美しいのです。生命ひとつで生きる喜びに満ちています。あっという間に上まで来ました。城壁が待っていました。1900年前のままです。私は頬ずりをしました。生命ひとつでした。ひとつひとつの石垣に触れると全ては生命ひとつでした。そして輝く高句麗の精神が無限な世界に立っています。永遠なる精神を見ました。永遠なる精神は終わる事もなく、滅ぶこともありません。最初から勝つ事は決まっているのです。私は精神の強さをこの身で感じ、内から力が生まれてきます。この力が在れば何でも出来ます。精神が生きる力であり、困難をも乗り越え、奇跡をも起こすのです。昔は敵が攻めて来た時に山城に移るのです。この山は先祖が重い荷物を運びながら登ったと想像するだけで、力が漲ります。あまりに美しい城壁に感動します。柏の葉が新しい水のように新鮮な輝きを放っています。其の香りに新しい生命を得たように元気になります。丸都山城の鳥の声程美しい声はないと感心します。例えようのない程美しいです。風は生命ひとつで心地よいです。先生がおっしゃったように先祖が力を貸してくれていることは生命全てでわかります。新しい高句麗伝説は始まりました。宇宙の生まれる3段階前の世界で永遠に生きています。私の人生もはじまりました。忘れ得ぬ丸都山城での経験に心の底からありがとうございます。


第五回/5月26日


 五女山にて迎えた朝は、日差しが透明な輝きに満ち、美しい朝です。今日は桓仁から集安に向かいます。五女山にさよならをして、桓仁の地を離れました。集安に向かう道中は幾つもの山を越えます。谷間を流れる河の清らかで美しい風景に目を見張ります。心やすらぎ、心清らかになり、心地よい風が生命の内を吹き抜けます。美しいふるさとの風景を心に焼き付けようと、必死になって見てしまいます。なだやかな山々が続き,木々の緑が輝き、新緑の瑞々しさに心が洗われます。自然の風景の美しさとは裏腹に貧しさが心に沁みる町並にやりきれない気持ちが生まれます。色々な事を考えながら、車は集安の地に到着しました。高句麗遺跡公園の前のホテルです。前回は改修工事中でしたので、他のホテルでした。お湯も出ずに、お風呂に入る事はあきらめていましたので、改修工事が済んだホテルに着き、ほっとしました。私は汚れを嫌います。気分が一遍に悪くなってしまいます。弱点であることは自覚しつつも治る事はありません。新しいお部屋に入り、気分が明るくなります。外に出て昼食をとりました。朝鮮料理屋さんに行きました。薄汚れたプラスチックの食器を見ただけで私の心は暗くなります。これも私の弱点です。優雅で美しい食器や、お部屋が好きです。アルコールテイッシュで食器を拭いて、息を詰めて恐る恐る食事をします。外に出るとほっとしますが、町中は埃っぽくて、嫌です。車を走らせ、好太王碑に行きました。ガラス張りになった碑を眺める事は淋しいです。けれど、保存の為には必要なことです。古墳もしかりです。よく見てみたい気持ちはありますが、保存の為には管理された方が良いのです。複雑な気持ちで高句麗の遺跡をまわります。好太王陵にて、公安がついてまわり、外であっても自由に歩く事を許されずに、気が沈んできます。豊かな自然に恵まれ、広大な大地に真っすぐな木が伸びている風景はふるさとの風景です。けれど、ふるさとで会う人は高句麗とはまるで縁がない人であり、管理する為にいる事が淋しい気持ちになります。国が違えば法律も違います。従う事は当然ですが、気持ちは整理しなければ、苦しいままが続きます。時空を超えた魂の世界で愛しい先祖に会う事に集中し、気持ちを切り替えます。鴨緑江に行った時は最悪な気分になってしまいました。何故かはよくわかりませんが、気が滅入ってしまい、辛かったのです。人の声を聞くだけで、体が緊張してしまいます。道端のお店も汚れていて、それを見るだけで嫌な気持ちになってしまうのです。明らかに自分の弱点が露になっていることは自覚しつつも答えを出せずに困りました。気分が悪いままに撮影が終わり、ホテルの部屋に戻りました。頭が痛く、休みたかったのですが、パソコンを開き、ウエブサロンを見ました。やる事を済ませようとしました。頭痛があるままに夕食になりました。突然、いだきしん先生が明日は丸都山城に登るとおっしゃいました。以前から、丸都山城は誰も人が入らないので、1900年前の城壁が手つかずのままにそのままあるとお聞きしていました。素敵と感じ、心から行ってみたいと望みました。生きているうちに行ってみたいと思わず言っていたのです。けれど、真剣には考えていませんでした。ガイドの王さんからは獣道なので、大変困難であることや、学者さんが登った時に道に迷って探すのが大変だった事等、聞いていたのです。私には無理と思っていました。けれど、1900年前の城壁がそのままとお聞きし、先祖の息吹きに触れたい気持ちは素直に生まれる気持ちでした。行ってはみたいけれど、私には無理と思っていたのでした。それも明日なんて、とても無理と思ってしまったのでした。先生に無理であることを告げました。王さんも私だけは無理と言いました。先生は好太王も長寿王も力を貸してくれるから大丈夫とおっしゃいました。私は嬉しい気持ちもありましたが、登山だけは無理と思い、憂鬱になってしまいました。

つづく



第四回/5月25日

 五女山にて誕生日の終日を過ごし、歴史の大仕事をし、ホテルに戻りました。埋もれた魂,虐げられた魂が解放されていった事を目の当たりにした私は心から安堵し、この為に導かれて来たとわかりました。部屋に戻り、パソコンを開き,高麗恵子ウエブサロンを見ると、多くの方々からの誕生日を祝うメッセージが沢山あり、ありがたい気持ちで胸が一杯になりました。時には涙まで潤みます。人の気持ちに触れ、人の温かさに支えられ生きて来れた事に感謝します。五女山からリアルタイムにいだきしん先生が写真を送って下さっています。日本で見ている方はどれ程喜んで下さっているでしょう、と想像するだけで涙が込み上げます。ボランテイアの人は私がどれだけうれしいかをよく知っています。大地の声や高句麗伝説にご参加下さっている方も知っておられることでしょう。皆さんに祝福して頂け、場を超えて喜びを分かち合えることが何よりうれしいです。夕食には、誕生日を祝い、長生きを祈願し、食事の最後に麺を頂きました。ガイドの王さんの計らいです。まず最初に私が頂き、後はみんなでまわして頂きます。そして王さんからバースデイーケーキをプレゼントして頂きました。大変美しい大輪の花のケーキです。紫と白い花は日本で見る花ではなく、この地の花です。電気を消して、ロウソクに火をつけます。いきなり爆竹の音がし、私は驚き、叫んでしまいました。すると、立て続けにロウソクに火がつき、パッピバースデーのオルゴールが鳴り始めました。歓声を上げ、一気に火を吹き消しました。さすが中国での誕生日は違うと文化の違いが楽しく、面白くてたまりません。ケーキを切り、一皿一皿盛りつけます。いつも哲にて大きな五女山ケーキを作っていますので、慣れたものです。今日は本当の五女山で頂くケーキです。程よい甘さの大変おいしいケーキに感動します。電気もつかず、お湯はおろか、水も出ずにお風呂も入れずに過ごした五女山のふもとでケーキを頂けるとは夢のようです。時代は変わるものです。コーヒーを頼みましたが、ありませんでした。一緒に行った仲間がアンドロメダエチオピアコーヒーをいれてくれました。ほっと息つくひと時です。五女山で誕生日を迎える時が来るとはやはり夢のようです。亡き父母がどれ程驚いていることでしょうか。人生は予測が出来ずに素晴らしいものです。心から感謝し、静かな夜を眠りにつきました。

五女山で眠る夜

静けさの内に
誘われる古の時
この地には会いたい東明王が眠る
東明王が生きた地
厳しい時を身に感じながらも
東明王と共に生きていけることが喜び

宇宙の生まれる3段階前の世界が開かれ
生き変わり永遠を生きる
至福の時
静かな夜
ありがとう、と声を出す
また
ありがとう、と生まれる気持ち
全てにありがとう
この人生ありがとう
みんなで幸せに生きる
みんなで平和な世界を創る、と
心に誓う
2009年5月13日
誕生日に


第三回/5月24日

20090513-20090513130140.jpg五女山城を歩いていると兵舎跡、住居跡があります。今は柵が出来ていますが、私は大地の声が聞きたくて、ガイドさんに、入ってもいいですか、と尋ねては、中に入り目を閉じ大地の声を聞きます。敵が攻めて来た時も守れるようにと生命賭けて暮らしていた緊張感が伝わってきます。寒い冬の時もじっと寒さを凌ぎながらも、時を待ち耐えていたことも伝わります。敵が去るまで隠れ、息を詰めて時を待っていた高句麗人の生き様にふれ、私の体も緊張します。恐怖を感じながらも生きていかなければならぬと必死なる姿に、私の体は震えてきます。険しい崖の間にある細い急な階段を降りる時、下を見ると足がガタガタと震えます。一歩一歩,気をつけて足をおろしますが、足の震えが止まりません。今は狭いながらも階段がありますが、昔は道もない山の中をどのように歩いたのでしょうか。死は常に隣合わせであり、いつも生命賭けです。吹く風は強く、精神も体も強くなければこの地では生きていけないことを伝えています。長い険しい階段を降りると城壁が見えます。懐かしい城壁です。1998年の時に真っ暗な森の中にいきなり現れた城壁に稲妻が落ちた衝撃が走りました。わさわさと魂が動いている音が聞こえるのです。愛しい城壁に手をあてると、此の度は恐怖が伝わってきます。この地で生きる事の恐怖に体が震え、立っていられなくなりました。城壁からは、耐えて耐えて耐え抜いてきた苦しみを感じました。泣くに泣けない苦しみ、抜け出し口のない苦しみの深さを体に受け、私は座り込んでしまいました。撮影をされている先生に思わず、「耐えて耐えて耐えてきた、苦しい魂がいます」と叫んでいました。20090513-20090513130722.jpg其の瞬間、苦しみが引いていきました。私は足と肩が痛くて不安が走っていましたが、あれ程痛んだ足も肩もすっかり軽くなり立って歩けるようになりました。いだきしん先生に受け容れられ、魂が光に変わった事がわかりました。城壁も輝き始めました。埋もれていた魂が蘇ったのです。虐げられてきた魂がやっと救われたのです。どれ程長い年月を苦しんできたことでしょう。人間の歴史は悲しいです。けれど、悲しいままで終わらずに、今こうして受け容れて下さる方がこの地にお越し下さり、変われる時が来たのです。人間は歴史を受け継ぎ生まれ、運命となり生きざる負えない人生を生きるようになっていますので、虐げられ、押し込められてきた人の魂が蘇った事で今尚、苦しみ虐げられ生きている人達が解放されていくとわかり、涙が込み上げます。状況は変わっていくでしょう。歴史の大仕事を成し遂げた体感でした。五女山には一斉に黄色の花が咲いていました。緑輝く草木と黄色の花の可憐で鮮やかな色が心に飛び込んできます。美しい光景です。さわやかな森を歩き、南門の城壁まで辿り着きました。点将台まで続く城壁が見えます。圧巻です。高句麗人の偉大な力に感動し、ひれ伏します。城壁は歴史を語り、精神を表しています。真っ直ぐで潔く美しいです。

五女山城

石垣のひとつひとつに高句麗人の魂宿る
生命賭け守る砦
天とひとつで生きることなくして生き延びていけぬことを
石垣のひとつひとつは知っていた
天と共に生きる王が生きる支え





第二回/5月23日

20090513-20090513130350.jpg 五女山のふもとにあるホテルで朝を迎えました。部屋の窓を開けると、目の前には澄んだ美しい河が朝日を浴びて輝いています。あまりに輝いているので、見ているだけで眩しくて目から涙が流れてきます。何の感情もないのに、涙が留まらずにあふれてくるのです。身支度をしようと、お化粧をはじめましたが涙が止まらずに、テイッシュペーパーで涙を拭いながら、やっと化粧を済ませました。私だけではない多くの魂が久しぶりのふるさとで迎える朝を喜び涙しているのかしらと考えながら、いつもと違う朝を迎えました。お湯を沸かし、アンドロメダエチオピアコーヒーをいれ、頂きました。ふるさとで飲むアンドロメダエチオピアコーヒーの味は格別です。心も体も温まり,沸々と力が生まれ、心の底から人生にありがとうという気持ちが生まれます。亡き母にも「お母さん、この人生をありがとう」と言いました。亡き父は昨日からずっと一緒にいました。瀋陽の空港に着いた時から共にふるさとの風景を見ていました。父は戦争中に満州に来ていたのです。高句麗の地に来ていたのです。生きている間に先祖の地を踏めたのです。けれど、戦争という目的で来なければならなかった父の運命は悲しいです。私は世界の平和を創る為に先祖の地を訪れているのです。なんとありがたい人生でしょう。今まで生きてきた人の分までもはたらき、みんなで平和な世界を迎えられますようにと一生懸命に生きていこうと意欲があふれてきます。自分一人ではない人生を受け止め、感謝します。朝食会場に行きました。粟のおかゆ,山菜、おもちと私の好きな物ばかりです。さすがにふるさとの地は私に合っていると、うれしいです。大都会の一流ホテルでの食事とは雲泥の違いがありますが、私にとってはこちらの方が食べられる物が多いです。飲み物は薄いコーヒーともいえないような物と、豆乳しかありません。昔に戻ったようです。けれど私が生まれる前の昔のようです。私はこのような食事や、飲み物を知りません。朝食が終わり、8時に出発です。5月13日,誕生日です。いざ、五女山へと向かいます。山の下の駐車場で降り、新しく出来た博物館に入りました。高句麗の博物館です。高句麗時代の事が展示されています。東明王の宮殿も想像した建物を作り展示されていました。宮殿跡と言っても山の上ですから、狭い敷地に建っています。五女山城の城壁を作る模様を動画によって見せてくれました。管理者が大きな声を上げています。怒鳴っているように聞こえ,怖くなり、ガイドの王さんに、何と言っているのかを尋ねました。王さんは、早くしろと言っているのです、と教えてくれました。働く人は奴隷にように扱われ、うめき声を上げています。喜びよりも苦痛を感じるうめき声に私の体は硬直してしまい、いたたまれなくなり,その場を離れました。古代エジプトのピラミッドを作る話を思い出しました。奴隷に作らせたと聞いていましたが、ある時から、王様の為に喜んで作ったという話を聞くようになりました。私は納得しました。喜びからは人知を越える物を作っていけますが、恐怖や、脅しからは良い物は作れません。私はいつも高句麗伝説の時に王と共に喜んで闘ったという詩を詠んできました。五女山城の城壁も恐怖からは作れないと感じてきました。博物館にこのように展示されていれば、此処を訪ねた多くの人は、恐怖と脅しによって作らされたと思ってしまうのでしょうと、残念な気持ちがよぎりました。そんな気持ちで五女山に昇るバスに乗り込みました。何がとはわかりませんが、不快感があり、いつものように五女山の風景を楽しめませんでした。体調も良くなく、頭痛がありました。誕生日に五女山に来れたのに体調が悪い事が気になります。本当は最高の状態で来たかったです。五女山城の入り口でいだきしん先生が写真を撮って下さいました。写真に映る私の顔の表情はうれしそうに笑っていました。ほっとします。ゆっくりと五女山の999段の階段を登り始めました。風が吹きます。強い風です。力強い音が山を駆け巡ります。自分の内にある不快感も不安も吹き飛ばしてくれます。頭痛も体の重みもすっかりなくなりました。身軽に階段を登り、雲海松濤台に辿り着きました。天空を吹き抜ける風に身も心も洗われます。新緑の輝く山々は新しい生命が生きる世界です。木々の海に風が吹きさざ波のように聞こえます。生命が躍動します。この美しい光景を何によって表せるでしょうか。みんなで見たい光景です。多くの人が歓声を上げているのが聞こえるようです。木々の波が打ち寄せては引いていきます。美しい時,心の底から感動します。2年前の秋に来た時は曇り空に雲海が広がり、雲の海が果てしなく広がっていました。滅多に見れない光景と聞きました。今日は快晴で、新緑の海です。山道を歩き、宮殿跡に立つと、宇宙の生まれる3段階前の世界が開かれます。五女山は宇宙の生まれる3段階前の世界につながりました。これで何処に行っても大丈夫であることを示して下さいました。心からお礼をし、頭を下げ、宮殿跡を後にしました。


東明王宮殿跡にて

木々の緑に古代この地で生きた
若き王の香りに包まれる
悲しみは動く事で表し、
五女山の風と共に天の遥か向こうに心を馳せる
運命を天に任せ
生きる為に城を築く
瞬間瞬間生命賭け
今,開かれた宇宙の生まれる3段階前の世界で共に生きる
世界はひとつ
平和は成る


第一回/5月22日

 1998年,5月に初めて訪れた高句麗の地。私の人生は変わりました。今年、緑輝く5月に再び行く事が叶いました。5月12日、瀋陽の空港に降り立ちました。新型インフルエンザの検疫があり、機内に検疫官が入ってきました。国が違えば国民性も違います。慣れない立ち居振る舞いに緊張しました。機内から出て入国する時も公安に指図される事に何時になく、緊張していました。空港を出て、車に乗り、車窓から見える風景は大陸ののびやかな、ダイナミックなエネルギーにあふれる懐かしい自然です。気持ちも楽になり、ずっと風景を眺めていました。私は車窓から風景を眺める事が大好きです。心に一杯焼き付けておきたい気持ちで、ふるさとの大地を眺めます。自然の風景とは裏腹に貧しい人々の暮らしを感じる街並に心が痛みます。色々な事を考えながらの道中は長い距離もあっという間に感じます。やがて山々の緑が美しく、新緑が萌えいずる光景に目を見張り,魅せられます。カーブが続く山道を過ぎると、重厚で深い空気に包まれる地に辿り着きます。空気も澄んできます。まもなく、ふるさとの地である事が空気から感じられます。桓仁という標識が見えてきます。そして[五女山景区」という看板が見えると,五女山が見えてきます。其の瞬間、[五女山」と歓声を上げてしまいます。いきなり、五女山が現れます。生命が躍動し心が躍ります。五女山がよく見える所に車を止めてくれます。いつも降りる所です。緑輝く5月のふるさとの風景は澄んだ河が流れ、陽の光に照らされ、水面が透明な輝きを放ち、私の心が一気に開きます。柳の新芽が新しい生命の光に満ちています。ポプラの木は真っすぐに美しく佇みます。夕日に輝く木々の緑の美しさに歓喜の声を上げ,其の光景を見ているだけで涙が込み上げます。涙が生命すべてから込み上げてきます。私の生命全てが喜び涙し、ふるさとに帰れた事を生命全てで伝えています。人間の存在の不思議な事に驚きます。ふるさとの光景を懐かしむ心は尋常ではありません。大きな声で此処が私のふるさとです、と叫び出しそうです。空は知っています。私がどれだけ喜んでいるかをわかり、私を迎えてくれます。風は私が帰ってきたことを歓迎してくれている魂の声を運んでくれます。風に吹かれるだけで幸せです。いつまでも此処にいたい気持ちは、五女山を眺める事で見切りをつけ,再び車に乗り込み、ホテルヘ向かいます。感動的な到着でした。五女山のふもとに居れるだけで喜びがあふれてきます。夕食のメニューを選ぶ時も私は大好物の豆、さつまいも、おもちがたくさんあることに大騒ぎです。さすがふるさとです。私の好きな物が多いです。おもちばかりを頼み過ぎて,とても食べれるものではありませんでした。ガイドの王さんも頼み過ぎです、と何度も言い、其れ以後は私に頼ませることはしなくなりました。ふるさとの夕食も楽しく済み、静かな夜を迎えます。其の静けさは山の中にいるような音がします。何処までも澄んで深い世界に吸い込まれていくようです。五女山の地は尋常ならぬものがあることを体で感じ、身が引き締まります。心静かに肝臓に手をあてて休む五女山での夜です。


静かに心澄ますと
 遥か昔の時が瞼に浮かびます
 愛しい東明王が生きた地
 風は生きることの厳しさを伝え
 この地から生まれた高句麗を表します
 私の生命の源
 古の時
 生まれた高句麗